
キッチンカー紹介
マッチングサービスに出店する個性豊かなキッチンカー
マッチングサービスは、シェフがこだわりの一品料理を振る舞う個性豊かなフードトラック500店と提携しています。エスニックなどのアジアンフードからイタリアン、フレンチ、カレー、和食、多国籍料理などさまざまなジャンルからお楽しみいただけます。
キッチンカーギャラリー
マッチングサービスに出店するフードトラックの一部をご紹介します。
キッチンカーシェフたちのインタビュー
キッチンカーで働くオーナーシェフたちのインタビューを一部抜粋して掲載


ランチ売上が4倍に!
銀座に固定店舗を持つイタリアン
コルポデラストレーガ
2017年夏にフードトラックを開業してわずか半年足らず。フードトラックのランチ売上を店舗の4倍にまで伸ばすなど快進撃を続けるコルポデラストレーガのオーナーシェフ谷口さんにお話を伺いました。
銀座の店舗といえど、ランチはしんどい
Q.フードトラックを始める前に、お店で抱えていた課題は何ですか?
席数の少ない銀座の店舗では、ランチタイムに1000円〜1500円の客単価で2回転すれば良い方。売上の割には、準備にもサービスにもどうしても人件費がかさんでしまいます。
夜の宣伝のつもりで始めたランチですが、5年やると正直しんどい…。
とはいえ、1つの店で何人もスタッフを食わせなきゃいけない。ある部分でしっかりお金をを稼がなきゃいけない。
お店を守るために、昼間にしっかりした売り上げを立てたいな、というのがフードトラックをいいなと思ったきっかけでした。
Q.フードトラックを始めてみて、ランチ課題は克服できましたか?
店舗の売り上げの3〜4倍になった。もちろん始めたばかりでまだまだ手探りですが確かな手応えは感じています。台数も増やしたいくらい。
Q.いざフードトラックを始めてみてギャップはありましたか?
いい意味で、フードトラックでもちゃんとお金払う人がいてくれるんだ、ということ。「700〜1000円でこのクオリティが食べられるなんてすごく嬉しい」と言って常連さんもたくさんついてくれて、本当にありがたいです。(メニューにより値段は異なります)でも逆に「これはいけるだろう!」と思ってやっても全然ウケなかったりすることもあって、日々勉強です。(笑)
店舗で提供するのと同等のクオリティを保つコツ?それは工夫次第でどうにでもなる。
Q.フードトラックで食事を提供されるにあたり、特にこだわっていることは何でしょうか?
うちはツーオーダーで作りたい。(オーダーを受けて作り出し、すぐに出す)熱いものを熱く、どきっとするし、香りも立つでしょう。
この車いい匂いがするとか、焼ける匂い、湯気がたっているとかね。
そういうシズル感、ダイナミズムで非日常が届けられるとね、対価以上に満足してもらえるんじゃないかな?
でもこれはあくまでうちの話。フードトラックそれぞれにやり方があって、正解はないよね。だからこそ自分のスタイルを貫くことが自分の正解につながる。埋没しないこと、自分なりの工夫をすることが大切。店舗のクオリティを保てるか?確かに始める前は心配だったけど、やってみると大したことないなって。それこそ工夫次第で何とでも。
ランチ営業を店舗からフードトラックにシフトし、売上を4倍に伸ばしながらも、自らのスタイルを探求し工夫を続ける谷口さん。
NO.1行列店! 本場スペインで料理長を務めたフードトラック歴10年のシェフが腕をふるう
TOKYO PAELLA
メイン料理にパエリア、サイドメニューにタパスとスープ。ボリューム満点のランチセットを週替わりで提供し、行くたび新鮮な気持ちで楽しめる。どこに出店しても立ち所に常連の列でにぎわう人気店TOKYO PAELLAの吉沢さん。その10年の道のりにはどんな苦労や経験があったのでしょうか。
最初はちっとも売れなかった
Q.今でこそどこの現場でも大人気のTOKYO PAELLAさんですが、ここに至るまでにどのような苦労がったのでしょうか?
たくさんありましたよ(笑)。ここ5、6年ですかね、安定してお客さんが並んでくれるようになったのは。始めた当初は全然売れなかったですよ。回転率悪いのに大きい鍋炊いて余ったら冷めちゃうし。1日鍋を3枚炊いてヘロヘロになってましたね。オペレーションが安定するまでに時間もかかりました。
パエリアって未だに作ってても安定しないんですよね。ブレが出ちゃうというか。ベストな味っていうのが頭の中にあって、そこに辿り着けるように日々改良しています。ブレがあるとやっぱりお客さんにわかっちゃうんですよ。味の追求と安定性、オペレーションが噛み合うまでに3、4年かかった、というところでしょうか。そのあともそりゃあ色々ありましたよ。もう忘れちゃったけど(笑)。ずっと探求し続けているから「良くなっていってるな」っていうモチベーションが続くというのがあるんじゃないかなぁ。
Q.売上がなかなか上向かなくても方向転換をせず、踏みとどまれたのはなぜでしょうか?
美味しいっていってくれる人がいたから、ですね。常連さんも少ないけどついていてくれたから。だからこそ今も手を抜かずに美味しい料理を出すことにこだわりを持っています。食数をこなそうとするとどうしても味のブレにつながってしまうんです。「硬かった」とか「芯が残ってた」とか「こんなの食えない」と言われたこともありました。始めたばかりの頃はそんなお叱りの言葉もいただいてましたね。毎週喜んで来てくれる常連さんや、お客さんに美味しいと言ってもらえるのがやっぱり一番のモチベーションです。
家族と出かけた公園でフードトラックに出会った。
Q.シェフとして海外での経験も豊富な吉沢さんがどのようにして日本でのフードトラック開業へと行き着いたのでしょうか?
自分の店を持ちたかったですが、リスクも大きいなと悩んでいました。ずっとレストランで働いて来ましたが、レストランって大変なんですよね。朝早くから夜遅くまで、休みも少なくて。そんな時、家族で出かけた公園でフードトラックが出てたんです。カミさんからこういうのやってみたら?って言われてそこから調べ始めました。
実家が飲食店をやっていたこともあり、料理をするのは小さな頃から好きでした。何となく調理師免許を取っておいたけど、25歳くらいまではやる気が出なくてフラフラしてました(笑)そろそろマズイかなと、実家を手伝いだして、そのあとロンドンで和食、帰国してカリフォルニアレストラン、そのあと家族も連れてスペインのヴァレンシアで料理長として店の立ち上げ、また帰国してフレンチレストラン、といろんなジャンルの店を渡り歩きました。どこで得た経験も本当に勉強になり、今につながっていると感じています。
飽くなき料理への探究心を育んだレストランでの修行時代とは。そしてTOKYO PAELLAを押しも押されぬ人気店へと押し上げた吉沢さんの、開業当初からの工夫やこだわり、揺るがない信念とは。




脱サラしてエジプトでの修行を経て、日本初のコシャリ専門店を開業。
エジプトめしコシャリ屋さん
大きな夢を胸に、誰も知らないエジプト料理をひっさげて、2016年3月念願のコシャリ専門フードトラックを創業したエジプトめしコシャリ屋さんの須永さん。開業までは道のりは持ち前のガッツとチャレンジ精神に溢れていました。
誰も知らないエジプト料理で勝負
Q.「コシャリ」って何ですか?
エジプトの国民食です。日本でいう牛丼とかラーメンみたいに、エジプトではそこら中にお店があります。コシャリとはアラビア語で「混ぜる」という意味で、ショートマカロニ、エジプトピラフ、トマトソース、フライドオニオン、ひよこ豆を混ぜて食べます。
Q.なぜフードトラックにしたのでしょうか?
やっぱり見たことのない食べ物って誰も手を出さない。自分もそうですから。だから人がいるところに出向いて自分から知名度をあげていけるというのがフードトラックかな、と。お金がなかったというのもありますね。それこそ借金して店構えて、人が来なかったら、もうあとは死ぬだけでしょ(笑)。ほとんどの人が名前も聞いたことない料理ですから。
Q.「コシャリ」という誰も知らない料理に挑戦した背景は何ですか?
それまでメーカーの新規開拓営業をしていました。何か自分にしかできないことをやりたいな、というのはずっと思っていて、サラリーマンをやりながらもアイデアを探したり、面白いことないかな、とアンテナを張っていました。それまで日本が世界の中心だった自分は中国赴任に3年行って価値観が変わりました。日本が世界の中心なんて誰も思っていない。世界はまだまだ広いなと。それからひとり旅に行くようになりました。それに身の回りに日本発祥のものってすごく少ないでしょ。誰かが「これは売れる」と思って日本に持ってきて生活の一部にまでもっていっているわけで。日本にはまだまだないものがある。エジプトに行く前から何かないかな、と着眼点をもって過ごしていたので、エジプトを旅したときにコシャリに出会って「これだ!」と思ったんです。それで脱サラして、さあコシャリをやるぞ。でも作り方知らないぞ、と (笑)。でもやるからには本物やらああかん。日本では誰も知らないから聞きに行かなきゃあかん…。ほんまアホやと思うんですけど、それでエジプト修行に行くわけです。
身一つでエジプトへ
Q.エジプトではどうやって修行まで漕ぎつけたのでしょうか?
カイロ市内のコシャリ店にすべて行きました。それで30軒くらい回って、「修行させてくれ!」と頼み込んだんですが、全部断られて。「誰やねん、おまえ」みたいな(笑)。でも断られたからって日本には帰れません、もう会社辞めちゃってるんでね。家族もいるし。間違えたふりして厨房入っていってめちゃくちゃ怒られたり、「明日来たら教えてやる」って言われて翌日行ったら「今日の仕込みは終わったから帰れ」って。そんな調子で連日突き返されたり…。
いつでも大きな夢を胸に、勇気と度胸で自分の道を切り拓いてきた須永さん。どのようにして本場エジプトでのコシャリ修行にこぎつけたのか?!そして日本での開業〜これまでの試行錯誤とは。